プリヲタ法学部生のブログ

プリキュアについて法学、政治学などの観点からの考察をするブログです。時折プリキュアと関係のないことについても書くかもです。

プリキュアは「正義のヒーロー」ではない


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 これは私見ですが、プリキュアは全くもって「正義のヒーロー」ではないと思います。

 ここでいう正義のヒーローとは「人々の幸せを守るために戦う」とか「人類を守らなくてはならない」などといった自身の外部にある「正義」を実現することを使命として戦うヒーローのことです。例えば帰ってきたウルトラマンは地球にやってきた時、第一声で「共に人類の自由のために戦う」と呼びかけてましたが、そのように無条件で誰かのために戦うヒーローを想定しています(正義のヒーローが嫌いなわけではありません。帰ってきたウルトラはむしろ大好きです。)。

 プリキュアは会ったことも見たこともない第三者を守るために戦うのは極めて稀です。また「実態のない概念のために戦う」というスタンスに無関心か、あるいは積極的な意味を見出していません。なぎさがプリキュアに成り立てのころに「ほんとにこんな正義の味方みたいなことするの?」と言い放ったのは印象深いところです。また、りんものぞみがプリキュア であることに初期の間はネガティブな反応をしていましたし、きららにいたっては一度は明確にプリキュア になることを拒否しています。

 彼女たちの動機は様々ですが「正義の味方ごっこ」的なものに対する憧れは極めて薄いと思われます。

 これに対して、やよいのように正義のヒーローに憧れていたプリキュアもいるし、マナなどは愛を振りまいているではないかという反論を受けそうです。

 しかし、彼女たちはそのようなアイデンティティに基づくプリキュアとしての行動を「正義」だから行っていたのでしょうか。

 私は、彼女たちはただ自分自身が心から望むことを成し遂げるため、心から守りたいものを守るため、究極的には己自身の幸福のために行動しているだけのように思われるのです。その結果がいわゆる「正義」と呼ばれる状況を生み出したとしても、それは結果論に過ぎないと。

「 正義のヒーロー」が「正義」という規範に従って己を律する存在であるとしたら、プリキュア はむしろ己を前面に押し出しエゴを貫くヒーローなのだと考えます。

  一方、私はプリキュアシリーズにおいて「正義のヒーロー」に値するのはむしろ敵キャラクターの方だと考えます。

 おしなべて彼らには彼らなりの「正義」ないし「信念」があります。ドツクゾーンなら闇の勢力の生存、ラビリンスなら世界の管理による不幸の根絶、クライアス社なら幸福な時間の永久保存...。 その構成員たちは多かれ少なかれ組織の掲げる正義に従い、組織の価値観を自己の価値観と信じ込み、本心を押し殺してプリキュア たちと戦ってきました。彼女たちを「愚か者」「弱虫」と罵りながら。

 このように考えるとプリキュアと悪役の差は、美醜ないまぜの自身の心とどれだけ向きあったかというところにあると思うのです。