輝く未来を抱きしめて…....
HUGっとプリキュア完結おめでとうございます。
内藤プロデューサー、佐藤・座古シリーズディレクター、坪田先生をはじめとするスタッフの皆様、引坂さんをはじめとする声優の皆様、そしてはなちゃんをはじめとするHUGっとプリキュア のみんな、本当にお疲れ様でした。
プリキュア15周年というアニバーサリーイヤーのプリキュアとして始まった今作はもっともプリキュア らしく、そしてもっともプリキュアらしくない作品だったと思います。
オールスターズとのテレビや映画を超えたコラボをはじめとして、各話に散りばめられた過去作を意識した言葉、なにより凜として敵に立ち向かうプリキュア 達の立ち振る舞いに、過去のプリキュア 達への厚いリスペクトを感じる作品でした。
一方で、プリキュアという“型”には忠実でありつつも、最もプリキュアらしくないプリキュア でもありました。
未来に対する不安、不安になってしまう人々の弱さ、弱さから生じる醜さと美しさ......他のプリキュアたちが、仄めかしつつも踏み込まなかった領域に、あえて踏み混んでいったからです。
プリキュア史上初めていじめの被害者という過去が明らかにされたはな、偉大な母親の娘というレッテルと向き合ってきたさあや、あるべきアスリートでなければならないという重圧に押しつぶされそうになっていたほまれ、祖父や兄から自由な生き方を奪われてきたえみる、アンドロイドとしての生き方を強制されてきたルールー.....。
悩みと向き合ってきたプリキュアは過去あまたいましたが、「他者からどう見られるか・扱われるか。」という性質の悩みに直面していたのは彼女たちが初めてだったのではないでしょうか。
通常、このような悩みに直面した時は他者の気持ちや圧力を内面化して、それを自身の劣っている部分であると思ってしまいがちです。
しかし、彼女たちは自分の本心、すなわち「なりたい自分」に対し素直かつ誠実であり続けました。例え他者から批判され罵倒され嘲笑されても「なりたい私」を手放さず、もがき、歩み続けたのです。彼女たちをプリキュア たらしめたのはまさにこの点です。
今作におけるプリキュア とは「なりたい自分」に向き合い、「輝く未来」を信じ、それに向かって歩み続ける人々のことをいいます。
「なりたい自分」とは、必ずしも希望する職業や進路のことではなく、自身の根幹にある「自分にとって最も心地よい自分」のこと、「輝く未来」とは「なりたい自分」に素直であり続けることができる未来のことをいいます。それは必ずしも他者が「なってほしい自分」「輝いていると思う未来」とは一致しません。
けれど、その中でもがき続ける人は、自身の困難を打ち破る力を持ち、人に困難を打ち破る勇気を与える。
これが今季におけるプリキュアのあり方だったのです。なので「なりたい私」を見つければ誰だってプリキュア になりうる。
本当になりたい自分に向かって歩み続けることは決して恥ずかしいことじゃない。あなたがそうなることで、あなた自身も、あなたの知っている誰かも、あなたの知らない誰かも一歩踏み出すことができる。
これが、1年間を通してHUGっとプリキュア という作品が伝えたかったことなのではないでしょうか。
みなさんはエール、アンジュ、エトワール、マシェリ、アムールの4人から、そして彼女たちを取り巻く多くの人々からどんな勇気をもらいましたか。あなたの「なりたい私」はなんですか?
プリキュアは「正義のヒーロー」ではない
これは私見ですが、プリキュアは全くもって「正義のヒーロー」ではないと思います。
ここでいう正義のヒーローとは「人々の幸せを守るために戦う」とか「人類を守らなくてはならない」などといった自身の外部にある「正義」を実現することを使命として戦うヒーローのことです。例えば帰ってきたウルトラマンは地球にやってきた時、第一声で「共に人類の自由のために戦う」と呼びかけてましたが、そのように無条件で誰かのために戦うヒーローを想定しています(正義のヒーローが嫌いなわけではありません。帰ってきたウルトラはむしろ大好きです。)。
プリキュアは会ったことも見たこともない第三者を守るために戦うのは極めて稀です。また「実態のない概念のために戦う」というスタンスに無関心か、あるいは積極的な意味を見出していません。なぎさがプリキュアに成り立てのころに「ほんとにこんな正義の味方みたいなことするの?」と言い放ったのは印象深いところです。また、りんものぞみがプリキュア であることに初期の間はネガティブな反応をしていましたし、きららにいたっては一度は明確にプリキュア になることを拒否しています。
彼女たちの動機は様々ですが「正義の味方ごっこ」的なものに対する憧れは極めて薄いと思われます。
これに対して、やよいのように正義のヒーローに憧れていたプリキュアもいるし、マナなどは愛を振りまいているではないかという反論を受けそうです。
しかし、彼女たちはそのようなアイデンティティに基づくプリキュアとしての行動を「正義」だから行っていたのでしょうか。
私は、彼女たちはただ自分自身が心から望むことを成し遂げるため、心から守りたいものを守るため、究極的には己自身の幸福のために行動しているだけのように思われるのです。その結果がいわゆる「正義」と呼ばれる状況を生み出したとしても、それは結果論に過ぎないと。
「 正義のヒーロー」が「正義」という規範に従って己を律する存在であるとしたら、プリキュア はむしろ己を前面に押し出しエゴを貫くヒーローなのだと考えます。
一方、私はプリキュアシリーズにおいて「正義のヒーロー」に値するのはむしろ敵キャラクターの方だと考えます。
おしなべて彼らには彼らなりの「正義」ないし「信念」があります。ドツクゾーンなら闇の勢力の生存、ラビリンスなら世界の管理による不幸の根絶、クライアス社なら幸福な時間の永久保存...。 その構成員たちは多かれ少なかれ組織の掲げる正義に従い、組織の価値観を自己の価値観と信じ込み、本心を押し殺してプリキュア たちと戦ってきました。彼女たちを「愚か者」「弱虫」と罵りながら。
このように考えるとプリキュアと悪役の差は、美醜ないまぜの自身の心とどれだけ向きあったかというところにあると思うのです。
語るに落ちる
小説にせよ、アニメにせよ考察というものは厄介なもので語るに落ちるということがままあります。
これは対象となる世界観について没頭するあまり、自身の想像と作品そのものの世界観を混ぜてしまい、作品を見る目から柔軟性が失われ、作品が伝えているメッセージを見落としたり、メッセージの本質を理解できなくなる現象を指すにでしょう。
考察というのは、快感を覚える人にとっては、一人だけで快感を覚えることができる便利な営みではありますが、それをすればするほど、純粋な目で作品に触れられなくなる厄介な代物であります。しかしまた、作品について自身の感想を構築する上で欠かせない営みでもありまして......。
考察を、自己満足の固定観念に陥らせないためにできることといえば①自分の考えを文章化すること(文字にすると思考の矛盾に気がつきやすい)②いろんな人と議論すること③自分と違う意見に触れること④一つの作品に没頭しすぎず他の作品にも触れること、ぐらいでしょうか。
単純な「信者」や「アンチ」にはなりたくないプリヲタです。
このブログについて・編集方針
このサイトについて
執筆内容
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主にプリキュアに出てくるキャラクター同士の関係や彼らの行動について私の興味がある学問から考察するブログです。
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私自身の資格勉強や興味のあることについての感想も書きます。
編集方針
- 記事の正確性には細心の注意を払い、何らかの事実や学問的な見解について記述する際は必ず情報ソースを明示します。万一、誤った記載があった場合は謝罪の上、直ちに修正したいと思います。
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